御家流 — 日本の文字文化を支えた書体
平安の宮廷から江戸の町人文化へ
日本には独自の書風があります。「御家流(おいえりゅう)」と呼ばれるその書体は、平安の宮廷に端を発し、江戸の庶民文化を彩り、現代の私たちの文字感覚にまで影響を与えています。
御家流の成立
御家流の源流は、平安三蹟の一人・藤原行成が築いた世尊寺流にあります。それを約300年後の鎌倉時代に、尊円法親王(青蓮院第十七世門跡・伏見天皇の第6皇子)が受け継ぎ、中国南宋の張即之の力強さを加えた「青蓮院流」として発展させました。
やがて江戸時代、徳川幕府は我流の崩し字による読み間違いや争いをなくすために御家流の統一を図りました。寺子屋の手本として大衆へと広まり、江戸の町人文化を象徴する書体へと変化していったのです。
江戸文字の花開き
御家流が庶民の手に渡ると、そこから実に多彩な文字文化が生まれました。
勘亭流——歌舞伎の芝居文字として生まれた、独特の太く丸みのある書体。寄席文字——ビラ文字を起源とする、寄席の看板に使われた読みやすく親しみのある書体。相撲文字——御家流の流れを汲むとされる、力強く太い書体。それぞれに考案者の名前がつき、独自の工夫が文字のデザインに隠されていました。
江戸の町は、まさに民衆のための活気ある書が溢れていたのです。「官公」の文字とは違った、町人の文字。それが日本の文字文化の厚みを生んでいました。
型は一つでも、十人十色
今では時代劇や資料館でしか見ることのできない御家流。しかし江戸時代には庶民の誰もがこの美しい文字を書いていました。型は一つでも、個性豊かな十人十色の書体で町が溢れていたことでしょう。
筆文字という日常に不可欠のツールであったにもかかわらず、あっという間に読める人も書ける人も少なくなってしまったことは残念ですが、筆耕の仕事の中で、こうした日本の文字文化の系譜を少しでも受け継いでいけたらと、日々思っています。御家流の源流である藤原行成の人物像や書の秘密については、「藤原行成 — 和様の書を極めた平安貴族」で詳しくご紹介しています。
ルーツとされている行成先生、さらに遡って王義之先生の字を研究することが一番良い勉強法だということが言えます。