藤原行成 — 和様の書を極めた平安貴族
王義之から日本の美へ。千年の時を超える筆の系譜
藤原行成(ゆきなり/こうぜい)は、972年に生まれた平安中期の公卿であり、「平安の三蹟」の一人として書の歴史に名を刻む人物です。NHK大河ドラマ「光る君へ」でも登場し、改めて注目を集めました。

三蹟 — 日本の書を完成させた三人
三蹟とは、平安時代を代表する三人の能書家のことです。小野道風、藤原佐理、そして藤原行成。この三人の時代に、中国風の雄渾な書から、日本人好みの優雅で優しい「和様の書」が完成されました。その書風は千年の時を超えて、現代の書道にも息づいています。
温厚にして才気溢れる人柄
行成の人柄を語る記述は多く残されています。資性明敏で温厚、義理固く、謹厳な態度。さらに才女・清少納言との交際も枕草子に描かれており、容姿も良かったのではないかと想像できます。
24歳で世尊寺の蔵人頭(くろうどかしら)— 天皇直属の秘書機関の最高責任者に就任しました。行成の書の流派はこの寺の名をとって「世尊寺流」と呼ばれるようになり、後の御家流の源流となっていきます。
本能寺切 — 行成の真骨頂
行成の代表作の一つに「本能寺切」があります。行成が書いた長巻の一部が本能寺に伝わったことからこの名がついています。本能寺の変で焼かれずに残ったのか、その経緯は今なお謎に包まれています。
内容は、小野篁、菅原道真、紀長谷雄など日本の詩人の名句を撰び行成が揮毫したもので、他の作品と比べても気合いの入った真骨頂が盛り込まれた作品です。中国製の文様のある高級紙を用いて書かれており、調度性も高いとされています。

王義之と行成 — 二つの書の比較
行成は中国(唐)からの書の流れを受け継ぎ、書聖・王義之の書に深く学んでいました。しかし、そこから日本独自の和様へとどのように変化したのでしょうか。「憂」の漢字を例に比較してみると、その違いが浮かび上がります。
王義之(中国東晋時代・303〜361年)の書は、戦乱の時代を生きた将軍貴族としての力強さと緊張感を湛えています。一方、行成(平安中期・972〜1027年)の書は、優雅に和歌を詠む平安貴族の世界観を映し、柔らかく伸びやかな線が特徴です。起筆は軽くスッと入り、線の途中からフワッと膨らむ——その筆致には、日本人の感性に合った優しい空気が漂っています。

俯仰法 — 王義之が生み出した至難の技
行成の書を語る上で欠かせないのが「俯仰法」という筆法です。これは王義之が開発したとされる筆の円転運動で、習得が極めて難しい至難の技。私も相当な枚数を書いて、やっとの思いで会得の入口に立ったという段階です。
古代ピラミッドの謎を解くように、王義之が現れて以降1700年もの間、漢字文化圏で人々がその技術を追い求めてきました。その究極の書の秘密をもっと知り、作品を通して現代に伝えていけたら——それが私の究極の夢です。
行成が遺した系譜
行成が築いた世尊寺流は、約300年後に尊円法親王によって受け継がれ、やがて江戸時代に御家流として庶民文化を支える書体の礎となりました。勘亭流、寄席文字、相撲文字——その後の日本の文字文化の多様な花開きのルーツが、1000年前の行成の一筆にあるのです。御家流が生んだ豊かな文字文化については、「御家流 — 日本の文字文化を支えた書体」で詳しくご紹介しています。